【お断り】PSYCHO-PASSの自分用考察メモ。
今回はツイッターに上げた物をログとして纏めたもの。
公式設定資料集を読みーーーー
犯罪係数の測定基準はサイマティックスキャンで読みとった生体力場を解析して出しているものと思っていたんだが…。その中に潜在犯となった場合更生させる為のコスト(費用、期間、リスク)が公共の利益にどれだけ見合っているかまでもが、裁定基準に含まれていた。
詰まり、社会的に膨大なコストが掛かる人間と判断された場合、オーバー300となって殺処分という流れも有り得ると、そういう事となる。
「誰もが必要とされる社会」を謳いながら、その一方で社会的にシビュラからお荷物の烙印を押されると殺処分なんて事だってある。これは途轍もない矛盾を抱えたシステムと言える。
こうなると、どうしてこのシステムが世の中に受け入れられてしまっているのか…って所に行き着いてしまう。メタ的にばっさり斬れば、そういう設定にしなければ世界観が成立しないからって事なんだろうけど、それじゃ面白くない。もうちょっとこう、広げて考えてみるとしよう。
定着した事に関して、一応理論は存在している。
サイコパスの世界で設定されているシビュラシステムの歴史は、暦的には2020年からスタートしてる。今の現実社会の構造が崩壊する部分から。
崩壊した社会構造を補うために、後にシビュラシステムとなる基盤が少しずつ、100年近くの時間を掛けて整われていく。
今生まれた子供が、舞台になる2112年頃で丁度泉宮寺さんぐらいな訳だ。(大体100歳)
今の私達の世代から考えると孫とかひ孫とか、そのくらい後の世代となる。
何も最初から完全にシステムとして利用されていたなんて事は無いだろうし、資本主義社会の人間の価値観的に、何もかも機械に判断してもらい疑い無くそれに従うなんて到底受け入れられないものだけど、段階的に移行していったものと考えると強ちあり得なくもないのかな…と思えてくる。
シビュラの掲げる理想は「犯罪の未然防止」と「成しうる者が成すべきを成す」という事。機械が公平な立場で人の心理や性格を判断し、それに見合った適正を示す事で、よりよい人生や社会になるよ、と提唱している。表面だけ見ると、まぁ美徳というか、実現するかどうかは別として「理想」ではある。
その理想が最初から提示されていたのかどうかは解らない。が、ほんの少しずつ、段階的にシビュラシステムの欠片が長い時間を掛けて社会や日常生活に組み込まれていったとなると、時間の流れと共に世代や価値観が変わり、頃合いを見計らって提唱された理想を大衆が賛同する、という流れも見えてきそう。
置きかえると携帯電話とかスマホみたいなもん。
最初こそ、あっても無くても良かったけど、そこあるから、自分達にとって有益だから使う。次第にそれを使うのが当たり前になって、今度は無い生活を不安に思ったり不便に思うようになり、それ無しに生きていけないと感じるようになる。といった所か。
今の価値観でものを言えば「シビュラシステム?そんなもの普及するわけがない」と言い切れるが、教育とか日常生活とか社会構造にそういった物が入り込んで、巧みに必要不可欠な物として刻まれると、後の世代にとっては「当たり前」になるのかもしれない。
そのシステムの欠陥やリスクに気付けよって点は、既に一期で狡噛が指摘している。
ドイツの社会学者の言葉を引用したそれを更に引用すると、政府によって背負わされたリスクが国民に巧妙に分散され分配されていた事で誰も気づかなかった、と。
粉々に砕かれ散らばったリスクが、「無いもの」として大勢の人の中で処理されていたという事だろう。
(追記。設定資料の暦によると、一番最初にコンピューターによるシステムが導入されたのは、『職業適性考査』だった。マークシート方式で行われていた考査を、合理性などを考慮されそのサポート(アシスト)目的で平行して導入された様子。後にスパコンによる演算処理に移行され一元化されることから、これがシビュラシステムの原点とも言える。
その導入目的となった『職業適性考査』は、鎖国政策により疲弊した経済を立て直す一環として、失業者を失くすという名目を持っていた。詰まり、システムの初期段階は後に普及するシステムの形とは違うものとして社会構造に入り込んできたという事になる。
犯罪係数で潜在犯を取り締まるという行為は、システムの歴史的には一番浅く、2100年以降である)