【お断り】
PSYCHO-PASS考察メモ。個人用につき、乱文。
一期に於ける宜野座伸元というキャラクターの立ち位置と、二期の霜月美香との共通点。
宜野座が一期に於いて、あまり好意的な活躍が無い、マニュアル通りの言動が多い事について。彼の行動が監視官と執行官の間に明確な線引きがある事を示し、現場に急行してもなかなか捜査が進まないという事も多々あった。
遡ってみると、起こる事件の際に「これはどういう事だ」や「何が起こっているのかさっぱりわからん…」と口走る事も。
朱より先輩監視官である為、現場の指揮を取る役目を担っている筈なのだが、なかなかその統率力を発揮できず、寧ろ朱や執行官達の方が勘が利き、真相に辿りつく事も多かった。(捜査で対立するも、大体外れの方にいるのがギノだったり…)
余りにもギノが不憫だったので、擁護の意味を込めてその理由を纏めてみた。
まず、宜野座が現場に辿りついた時点で、目の前の惨状すらきちんと読みとれないのは、シビュラシステムあっての捜査という物が関わっているからではなかろうか。
あの世界では犯罪者を裁くのはシビュラ。犯人が誰か、その裁量はドミネーターを向けた時点でシビュラが勝手に判定してくれる。詰まり、その銃把を握っている側には「考える」という事そのものの必要性が皆無な訳だ。
動機があろうがなかろうが、立証があろうがなかろうが、全てはシビュラが人の生体力場を解析すれば善か悪かが判る。その過程や細かい部分の捜査は二の次三の次になる、そんな世界だ。(犯人が数値で特定されてしまうんだから、必要性は低いだろう)
あの世界では潜在犯として、犯罪を犯す可能性のある者が摘発される。だから、本当の犯罪が起こる可能性は現代社会に比べて、極めて低いのではなかろうか。だから公安局員の人員も、ドローンを差し引いたとしても少人数で構成されている。それで事欠かない世界なのだろう。
その為、実際犯罪が起きた時の「その場判断」に対する経験が浅い。又は、「シビュラがある限り、犯罪など起こる筈がないんだ」という概念が根底にある為、惨殺現場だろうが、血がまき散らされている現場であろうが、それが=何か犯罪や事件が起きたという結論に至らない可能性がある。
それともう一つにして最大の要因として考えられるのは、「深く考えてはいけない」という思想ではないだろうか。
シビュラが統制する社会下に於いて、深く物事を考察したり洞察する事は即ち色相が濁る事、とされている。考える事で色相が濁り、潜在犯になってしまうという一種の強迫観念に近いものが、あの世界での人々の中に定着してしまっているのだ。
事実、狡噛は犯人の動機について考えようとした宜野座を「犯人の心理を理解しようとするな」と止めている。それは犯人の心理を理解する=犯罪心理に自分自身も近づいてしまう=色相が濁り始めるという連鎖になっているからだろう。
宜野座だけでは無い。あの時代の所謂”一般人”は総じて物事を深く考える事をしない。深く考える事を敬遠する社会構造であり、そういう教育を受けているから、ではなかろうか。
なので、現場に到着しても、それがどういう状況でそうなったのかという「事象の流れを自分の中で構築して理解する」という事をするという前提そのものが無い可能性がある。
或いは、事件を追い行動するのは執行官。監視官は飽くまで執行官を監視する役職。という区分通り、監視官には元々現場で鼻を利かすとか推理力を働かせる才能に尽いて、然程重要視されていないのかもしれない。
宜野座の考え方や価値観は、現代の我々から見るとある種「統率が出来ていない」と見えてしまい、逆に物事をきちんと推理して行動起こす執行官の方が有能視されるが、それは現代の物差しで測るからそういう風に見えるのであって、あの時代のあの環境下で育っていれば、宜野座の価値観や概念はごく一般的な常識の範囲内、或いは一般人以上に”正しい考え方”なのかもしれない。(シビュラあっての社会的概念)
朱が監視官であるにも関わらず、あれほど深く物事を考えられるキャラになっているのは、一重にタフさ、色相が濁りにくいという体質あっての事だろう。あれこれ考えたり、疑問を抱く事が、潜在犯になってしまう事への第一歩だとすると、もし彼女が普通の色相の持ち主ならとっくに色相が濁って執行官落ちしていても何ら不思議では無い。あの世界観では「深く考える」人程、潜在犯になってしまうのだから。
それは2で言う所の霜月にも言えるような気がしてしまう。
彼女の行動や言動に尽いて、視聴者からかなりの嫌われようになってしまっている訳だが、そんな彼女もあの世界の物差しで測ると恐らく「常識」の範疇には入るのだろう。保身にしても、監視官という職業がエリートコースで出世有りきの職種だから、だろう。(宜野座も1期で似たような事を度々口にしている)
あの世界では「如何に自分に適した仕事に就いて、如何に成功を収めて幸せになるか」が一種のプライオリティになるのでは?シビュラ統制下の幸福指数はそういうものから来ている可能性がある。
そして彼女の場合、それに付加されるのが環境と性格だろう。
1期の頃の宜野座より彼女の評価が酷いのは、彼女が温室育ちだからかもしれない。
彼女が在籍し、王陵璃華子事件のあった桜霜学園は、外部からの情報や刺激を一切断絶し、子供をストレスから極端に守っている環境にある。言ってしまえば、「外の世界」を知らないで思春期を過ごしてきたという訳だ。
精神的にも年齢的にも未成熟である事に加えて、学園で植えつけられた価値観が、より彼女を公安局の中で厄介な存在たらしめているのかもしれない。
性格についてもそれは言える。設定上、彼女は学園在籍中王陵璃華子と1、2を争う高学力の持ち主だったそうな。詰まり賢さという点に於いては、不備はない頭脳を持っている訳だ。しかもタフなメンタルの持ち主で、朱と同じ「メンタル美人」だったとも。
そんな彼女が社会に出て、先輩であっても立場上は同僚に当たる監視官の朱が、自分よりも冷静で物事に動じず、逆に自分の反論を落ちついて受け止め的確に返す様子に、一種の劣等感を感じているのでは?
彼女の性格上、やはり「子供扱い」される事は嫌そうな節がある。
周りの人間の寛容さを、「子供だから」と思われ受け流されていると勘違いをして、更に反発心を抱くという連鎖を想像してしまう。
これは宜野座が、ハイスペックで弱点の殆どない狡噛と一緒に居る事で、知らず知らずに自分を比較対象にしてしまい劣等感を抱いているキャラ(公式)、と位置付けされている事に被っているような気がする。霜月の場合、朱に対してそれが言えるのではなかろうか。
ただ表面的な人間性で判断すると、単純に「嫌なやつ」で終わってしまうが、そのバックグラウンドに何があるかを想像すると、そのキャラの少し違う一面が見える、かもしれない。
…しかし、私個人の意見を言えば、上司や部下にはしたくない性格ではある(笑